翻訳と辞書
Words near each other
・ コンスタンチン・カヴァルノス
・ コンスタンチン・カヴェーリン
・ コンスタンチン・ガムサフルディア
・ コンスタンチン・クリステスク
・ コンスタンチン・グルチョフ
・ コンスタンチン・コゼエフ
・ コンスタンチン・コルニーロフ
・ コンスタンチン・コロチェーエフ
・ コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ
・ コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ (ロシア公)
コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ (ロシア大公)
・ コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ・サラジェフ
・ コンスタンチン・サナテスク
・ コンスタンチン・サラジェフ
・ コンスタンチン・シチェルバコフ
・ コンスタンチン・シデンコ
・ コンスタンチン・ジョストフ
・ コンスタンチン・スタニスラフスキー
・ コンスタンチン・スミルノフ
・ コンスタンチン・スメタニン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ (ロシア大公) : ミニ英和和英辞書
コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ (ロシア大公)[こう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大公 : [たいこう]
 (n) archduke
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ (ロシア大公) : ウィキペディア日本語版
コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ (ロシア大公)[こう]

コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ(, 1858年8月22日 - 1915年6月15日)は、ロシアの皇族。ニコライ1世の孫息子の一人で、ロシア大公の称号を有した。詩人、劇作家でもあり、姓名「(Konstantin Romanov)」の頭文字から採ったペンネーム「(KR)」の呼び名でよく知られた。1889年から亡くなるまでロシア科学アカデミー総裁を務めた。
== 生涯 ==
コンスタンチンはコンスタンチン・ニコラエヴィチ大公とその妻アレクサンドラ・イオシフォヴナ大公妃の間の第4子、次男として、ストレルナのコンスタンチン宮殿で生まれた。長姉のオリガ・コンスタンチノヴナは、1867年にギリシア王ゲオルギオス1世と結婚した。コンスタンチンは幼い頃よりロマノフ家の男子に要求された軍人としての教養よりも、文学や絵画、音楽に興味を持っていた。しかしロシア帝国海軍での軍務に就かねばならず、大公はこれが不満だったという。やがてコンスタンチンは海軍を離れて近衛軍のイズマイロフスキー連隊に入り、同連隊では厚遇を受けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ (ロシア大公)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.